南相馬市〜孤立する原発30キロ圏内〜
2011年03月22日
東日本大震災から1週間経った3月19日晩〜21日未明にかけて、
未だに食糧や物資が届かないとS.O.S.のあった被災地へ行って参りました。
行き先:福島県南相馬市内(市役所、小野田病院、大町病院)
運搬物:野菜ジュース50ケース、カップ麺類100ケース、肉類の缶詰、
焼肉のたれやマヨネーズなど調味料、漬け物、お菓子、
ウェットティッシュ、毛布、パジャマ、マスク、リップクリーム、
携帯電話の充電器、乾電池、懐中電灯、ガソリン、軽油
仲介者:NPO法人ベーシック・ライフ・サポート神戸

南相馬市は原発から20キロ~30キロの「屋内退避」区域であり、
放射能を恐れてか物資がこれまでほとんど届いていませんでした。
地理的にも、福島市から相馬市まで通行可能な道は峠越えの1本、
相馬市から南相馬市へも海岸沿いの道が1本しか残されていません。
小野田病院では男性スタッフが泣きながら両手を握って下さるなど、
こちらが恐縮するぐらい感謝をしていただきました。

医師や病院スタッフが疲弊する中、いよいよ食糧が無いということで、
私たちの到着する前日から患者の市外搬送が始まったとのことです。
報道でもようやく最近、南相馬市の窮状が明らかになってきましたが、
地震発生直後に現地入りしたNPOが物資運搬を開始していなければ、
今頃は本当に餓死者が出ていたかも知れません。

物資運搬後には、市職員さんと一緒に災害現場を訪れました。
地震よりも津波による破壊の規模が大きく、凄惨の一言でした。
市民課の職員さんでしたが、現場を訪れるのは初めてとのことで、
それぐらい忙しかったのと、移動手段が無かったのだと思われます。

最後に私たちの仕事を尋ねられたので、
みんなの党であることを明かすと、少し驚いておられましたが、
「この現状を一人でも多くの方に発信してほしい」と託されました。
車中2泊の強行軍で、負担を掛けないため食事・トイレも現地では一切しませんでした。
ともあれ、募金活動やカンパを下さった皆様のお陰を持ちまして、
わずかばかりですが被災地のお役に立つことが出来ました。
この場を持ちまして、皆様に御礼申し上げます。
未だに食糧や物資が届かないとS.O.S.のあった被災地へ行って参りました。
行き先:福島県南相馬市内(市役所、小野田病院、大町病院)
運搬物:野菜ジュース50ケース、カップ麺類100ケース、肉類の缶詰、
焼肉のたれやマヨネーズなど調味料、漬け物、お菓子、
ウェットティッシュ、毛布、パジャマ、マスク、リップクリーム、
携帯電話の充電器、乾電池、懐中電灯、ガソリン、軽油
仲介者:NPO法人ベーシック・ライフ・サポート神戸

南相馬市は原発から20キロ~30キロの「屋内退避」区域であり、
放射能を恐れてか物資がこれまでほとんど届いていませんでした。
地理的にも、福島市から相馬市まで通行可能な道は峠越えの1本、
相馬市から南相馬市へも海岸沿いの道が1本しか残されていません。
小野田病院では男性スタッフが泣きながら両手を握って下さるなど、
こちらが恐縮するぐらい感謝をしていただきました。

医師や病院スタッフが疲弊する中、いよいよ食糧が無いということで、
私たちの到着する前日から患者の市外搬送が始まったとのことです。
報道でもようやく最近、南相馬市の窮状が明らかになってきましたが、
地震発生直後に現地入りしたNPOが物資運搬を開始していなければ、
今頃は本当に餓死者が出ていたかも知れません。

物資運搬後には、市職員さんと一緒に災害現場を訪れました。
地震よりも津波による破壊の規模が大きく、凄惨の一言でした。
市民課の職員さんでしたが、現場を訪れるのは初めてとのことで、
それぐらい忙しかったのと、移動手段が無かったのだと思われます。

最後に私たちの仕事を尋ねられたので、
みんなの党であることを明かすと、少し驚いておられましたが、
「この現状を一人でも多くの方に発信してほしい」と託されました。
車中2泊の強行軍で、負担を掛けないため食事・トイレも現地では一切しませんでした。
ともあれ、募金活動やカンパを下さった皆様のお陰を持ちまして、
わずかばかりですが被災地のお役に立つことが出来ました。
この場を持ちまして、皆様に御礼申し上げます。



